子供に観せたくない「残酷な映画」だから名作になった…『火垂るの墓』と『鬼滅の刃』の意外な共通点

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高畑勲監督のアニメ映画『』が、8月15日に日本テレビ系列で放送される。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「『』のテレビ放送は、これで14回目となる。1989年以来、同作品が愛され続けてきた背景には、爆発的な人気を誇る『』と同じ理由があるのではないか」という――。
写真=共同通信社
2015年6月15日、「を歩く会」が巡るコースにある『』の石碑=神戸市 – 写真=共同通信社

■なぜ「ジブリ作品初の国内配信」が実現したのか

テレビ放送を1カ月後に控えた7月15日、『』のNetflixでの配信が始まった。サブスクリプションサービスで配信されるスタジオジブリ作品としては、国内初となる。実現した理由は、著作権にある。

『』は、原作小説の作者・野坂昭如と、原作本の版元・新潮社が著作権を持っている。ジブリ作品でありながら、配信や放送にあたっては、とりわけ新潮社の許諾があれば良い。

この経緯については、ネットメディア「otocoto」が配信開始日に公開した記事(〈『』Netflixでジブリ作品初の国内配信へ 「反戦映画」だけではない高畑勲が託した普遍の問い〉)で解説している。

ただ、裏を返せば、この著作権のために、前回のテレビ放送から7年の間が空いたとも言えるのである。

■前回のテレビ放送から7年の間が空いたワケ

「朝日新聞デジタル」が今年5月26日に配信した記事(〈「」が7年ぶりの地上波放へ 放送されなかった背景事情は〉)で、ジャーナリストの松谷創一郎氏は、ジブリが2023年10月に日テレの子会社になったところに注目している。

ジブリ作品をテレビ放送するにあたって、子会社に放映権料を支払う必要はない。反対に、ジブリが著作権・放映権を持たない『』の放送にあたっては、権利元に支払わなければならない。

また、記事では、この点に加えて、『』が、かつてより視聴率が下がっている点も挙げている。こうしたさまざまな背景から、高畑勲監督の死去後の2018年4月13日以来、7年ぶりとなったと「朝日新聞デジタル」は報じている。しかし、かつては1~4年おきの夏の風物詩だったのである。なぜだったのか。

■映画興行としては不入りだった

『』は、1988年4月16日、『となりのトトロ』との二本立てで公開された。いまでは信じられないかもしれないが、当時の日本アニメは、苦境にあった。『』の劇場パンフレットで、プロデューサーの原徹氏は、次のように書いている。

各約85分の2本の作品が同時に製作封切られることは、低迷しているアニメーション界にとって、刺激的、且つ、画期的な出来事である。

アニメといえば、子どもしか見ない。そんな侮蔑のまなざしを向けられていたし、さらに、同じパンフレットの「解説」には、「これまでのアニメーションには日本を積極的に舞台にした作品はごく少なく、日本人の生活をきちんと描いたものはほとんどありませんでした」と書かれている。

日本のアニメーションは、あまり見られていないから、作品の質が高まらず、その設定も日本ではなく、海外やファンタジーばかりだった。

しかし興行成績は、原氏の期待通りには行かなかった。35日間しか上映されず、2本合わせて配給収入は5億8800万円、観客動員数は80万1680人にとどまった(スタジオジブリ・文春文庫編『ジブリの教科書4 』文春ジブリ文庫、2013年、36ページ)。

写真=iStock.com/LeMusique
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/LeMusique

ただ、作品としての評価は、極めて高かった。モスクワやシカゴの国際映画祭で賞を取るなど、日本アニメーション史だけではなく、日本映画史に燦然と輝く、原氏の表現を借りれば「刺激的、且つ、画期的な」作品となったのである。

『』のテレビ放映が夏の恒例行事になるのは、公開翌年1989年からである。その放送日は、同作品の運命を決定づける、ある大きな出来事の渦中にあった。

■「連続幼女誘拐殺人事件」の報道と同じ日に

『』がテレビで初めて放送された1989年8月11日金曜日、日本中が、ひとりの男による犯行に驚愕していた。前年から埼玉県と東京都で起きていた連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤による犯行の自供が報じられたのが、前日・10日だったのである。

「今田勇子」を名乗り、遺族に白骨を送りつけるなど、その異常性が社会を震え上がらせていた事件の犯人が逮捕された。その只中で、『』がテレビで放送されたのである。

反響は大きかった。視聴率が20.9%というだけではない。翌週19日土曜日の「読売新聞」は、『』についての投書が52通届いており、「この夏最高の数である」と興奮気味に伝えている。加えて、幼女誘拐殺人事件の容疑者・宮崎勤に触れて「アニメマニアの宮崎は、この作品を見ているのだろうか」との内容が、うち3通あったと報じている。

当時小学3年生だった私は、この日のことを、36年後の今もよく覚えている。

ただ怖かった。宮崎勤の凶行を恐れていたところに、夜9時からの『』によって、さらにドン底に叩き落とされたのだった。テレビを見終わって、眠れなかっただけではない。今に至るまで、あの恐怖を体が、まざまざと覚えている。

それほどまでに子どもにとって、『』は正視に耐えない。それなのに、なぜ、ここまで放送され続けてきたのだろうか。

■「幼心には処理しきれないほどのトラウマ」

芥川賞作家の綿矢りさ氏は、小説『かわいそうだね?』のなかで、次のように描写している。

夏休みの終わりごろテレビ放映される『』を、ほかのジブリ映画とよく似たものだと間違えて鑑賞し、幼心には処理しきれないほどのトラウマを背負う日本の小学生は少なくない。私もその一人だ(『かわいそうだね?』文春文庫、2011年→2013年、67ページ)

綿矢氏は、この点について、先日(2025年8月2日)NHK・Eテレで放送された「ETV特集 と高畑勲と7冊のノート」で「記憶の奥底に刻み込まれる映画なんじゃないんですかね」と振り返っている。上の描写は、フィクションではなく、綿矢氏本人の思いである。

では、なぜ、それほどのトラウマを「少なくない」日本の小学生にもたらす作品が、夏の風物詩になりえたのだろうか。

■親なら「絶対に観せたくなかった」

ジブリとも関係の深い、世界的なアニメ映画監督・押井守氏は、『』について、次のように苦言を呈している。

2015年10月29日、ルッカ・コミックス&ゲームズ2015に出席する押井守(写真=Niccolò Caranti/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia
Commons)
あんなもの、親が子供に観せたいと思う? 僕も人の親だから言うけど、絶対に観せたくなかったから。だって残酷すぎるでしょあんな作品を幼いときに観たら、人間不信になってしまうよ。(押井守『誰も語らなかったジブリを語ろう 増補版』東京ニュース通信社、2021年、148ページ)

綿矢氏も押井氏も言う通り、子どもにとって、『』は、あまりに負荷が大きい。戦争の悲惨さだけではない。冒頭から死体が映される。主人公2人の母親は、全身に火傷を負い、包帯でぐるぐる巻きにされるだけでなく、蛆虫だらけになった末、他の死体とともに慈悲なく焼きはらわれる。

作品に出てくる大人は、みんな冷たい。主人公2人の両親も、見方によっては冷淡というか、無責任だったし、頼った親戚の未亡人は、綿矢りさ氏の表現を借りれば「超絶いじわるおばさん」だった。主人公が畑泥棒をすれば、殴る蹴るの暴行の挙句に警察に突き出される。

ただでさえ、空襲で家を焼かれ、路頭に迷っている主人公2人対して、社会は容赦ない。高畑勲監督が、公開時のパンフレットの文章(『』と現代の子供たち」)で、次のように、映画化の狙いを述べている。

私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。

高畑監督に言わせれば、「修羅」は大人の冷たさであり、批判も非難もできない。別の講演(「映画を作りながら考えたこと」)でも、主人公たちの親戚の未亡人について、〈ひどい「いじめ」といえるかどうかさえ怪しい〉と述べている(スタジオジブリ・文春文庫編『ジブリの教科書4 』文春ジブリ文庫、2013年、141ページ)。

まさにここに、『』が、トラウマをもたらす「残酷すぎる」のに、親なら「絶対に観せたくなかった」のに、ここまで支持されてきた理由があるのではないか。

■実は『』とも共通している

それは、押井氏のように「絶対に観せたくなかった」と判断できなかったからである。そして、私をはじめ、子どもたちは、実は、残忍さが好きだからである。言い換えれば、親たちは、単なるアニメ映画、それもジブリ作品だと高をくくるばかりで、まともに相手にしてこなかったからであり、かたや子どもたちは、そうした、親が観せたくないような残虐さを愛してきたのである。

大人、いや、人間が「修羅」と化す。そこが実は魅力であり、視聴者にトラウマをもたらしつつも、クセになる。この2つは、『』にも通じるし、『』の視聴率の低下傾向を裏打ちする。

写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/winhorse

『』もまた、兄が妹を守るストーリーだから(だけ)ではない。大人が子どもを守らないどころか、攻撃さえ仕掛けてくるところも『』と共通しているが、それだけではない。

『』は夏休みに放送されるから、親は、ただ子どもに見せておくだけで、自分たちは、まともに取り合わない。『』が人気を爆発させたのは、コロナ禍であり、このときもまた、親たちは、ステイホームのなかで、子どもにただアニメを見せていただけだった。

そしてどちらも、親が直視していれば「絶対に観せたくなかった」ほどに、むごたらしいシーンが続くのに、あるいは、それゆえにこそ、子どもたちの支持を集めてきたのである。

『』のテレビ視聴率が下がってきたのは、綿矢氏や私のように、「幼心には処理しきれないほどのトラウマを背負」った小学生が親となり、押井氏のように「絶対に観せたくなかった」と思うようになったからにほかならない。

きょう(2025年8月15日)の『』テレビ放映を、私たちの社会がどう受け止めるのか。そこに、公開から37年を経た変化が見えるに違いない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ
世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史
近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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