道重さゆみ(36)が「嫌いだったよ、あなたのこと」と宣言したのは…伝説と呼ばれた「プラチナ期」モーニング娘。で異彩を放ったワケ〈芸能界を引退〉

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 が LIVE TOUR 2025
『SAYUMINGLANDOLL~SAMSALA~』最終日、8月14日をもって芸能界を引退する。2003年1月9日、の第6期メンバーとしてデビュー。当時13歳だった彼女は、同期の田中れいなとともに、メンバー初の平成生まれだった。紅白歌合戦に初めて平成生まれのアイドルとして出場したのも道重と田中である。

 新時代の象徴として芸能界に飛び込み、エンタメの発信ツールの進化、グループアイドルの価値観の変化など、大きな時代の荒波を受け、新たな「kawaii」文化の活路を見出していった道重。彼女の引退は、時代の終わりを感じる……という小難しい感情ではなく、ただただ寂しい。

(2014年1月撮影) ©︎時事通信社

笑顔ナシの合格発表

 が参加した「LOVEオーディション2002」は、最終審査の全貌が地上波で公開され、多くの視聴者が、かたずをのみ見守っていた。私もその一人だったが、5期までの白熱した様子と違った意味で、見ごたえがあったのを覚えている。道重と田中れいな、亀井絵里という3人の候補生は、全員、とにかく反応が薄かったのだ。表情が変わらない。何を言われても返事をしない。3人合格を言い渡された瞬間も笑顔ゼロ。あんな暗い合格発表は後にも先にも初めてである。明らかに「問題児」であった。

 初の平成生まれということもあり、観ていて「今の若い子ってこんな感じなの?」という言葉が漏れたものだ。いつの世もある、新人類に驚くあるあるである。

 なかでも、課題曲「Do it!
Now」「赤いフリージア」を明るいお経のように歌い、ダンスも形になっていない、真っ黒な髪と大きな瞳の少女はインパクト大。一番なにもできていないのに、昭和の映画女優のような、不思議な貫禄があったのがだった。

 は、2018年、「Woman type」のインタビューで当時をこう語っている。

> 〈「当時は歌とダンスが苦手だってことを自覚していなくて。私、オーディションを受けるまで音程の存在を知らなかったんです(笑)。それなのに、すぐにテレビで観ていたキラキラの世界の一員になれると思っていたし、実際にになれたことで『私も歌とダンスが得意なんだ』って勘違いしていました」
>
> (「Woman-Type」『OG「全ての努力が報われるわけじゃない。でも、やって良かったと思う時はいつかくる」』より)〉

 スタッフやメンバーたちが心配顔のなか、楽しそうに「いいね、OK」と全員採用したつんく♂の先見の明はすごい。

「私が一番かわいい」自分から言って覚醒していくスタイル

 あまりにも早く夢が現実になったパターンの過酷さを、ありのまま見せてくれたのも、だった。ソロパートがほとんどなく、パフォーマンスで見せ場がなかった期間が続き、表情が暗くなっていく。

 しかし彼女はいつからか、そこから抜けようと、「こうなりたい」や「この役目をしたい」を、どんどん公言していくようになった。ナルシストキャラと呼ばれるきっかけになった「私が一番かわいい」「今日もかわいい!」と言うクセは、その最たるものだろう。「なりたい」を「なる」という現在進行形で言葉にし、イメージを本物に変えていった。

 ブログも、自分からやりたいと事務所に懇願し、ラジオでも言い続けた。おかげでメンバーで最も早くブログデビューしている。2012年、新垣里沙の卒業時には、卒業イベントの数カ月前から「リーダーになりたいです」と立候補。31thシングル「歩いてる」も、好きだ好きだと連呼し、その結果、ベストアルバム『The
Best!~Updated ~』ではソロで歌うことができている。

 2012年、リーダーになってからは「いま、たくさんのアイドルがいるので“倍返し”で巻き返しできるようにがんばります!」と宣言し、実際、モー娘。人気を復活させている。

 好きなものは好き、やりたいことはやりたいと言う。そうしてチャンスを作っていく。有言実行、言霊の人である。

久住小春に向けた「嫌いだったよ、あなたのこと」

 もちろん、言葉は諸刃の剣で、道重も何度か炎上している。「私が一番かわいい」を強調し過ぎて、2009年には、嫌いな女性タレントランキングにも入った。2010年、アイドル戦国時代に突入したばかりでグループ(とファン)同士ライバル意識が強かった時代、ユーストリーム動画で「AKB48が好き」とジェスチャーでこぼし、物議をかもしたこともある。2005年に教育係を任された久住小春との確執は話題となったが、久住の卒業コンサートで、道重はこう締めている。

「正直に言うと、嫌いだったよ、あなたのこと。でも、だからすごいわかんないの。なんでこんなに寂しいのかなって思う」

 私はこれを聞いた時、彼女の言葉力に舌を巻いた。感情を無理に整理せず、本音を交え、前向きに相手に伝えるトークの構成、見事……! それ以来、ただの毒舌ではなく、信頼に変わっていった。は、伝えることで進んでいく人なのだ。のブログで「大好き」と紹介されていた、こんな歌詞がある。

> 〈 なんでも話してほしかった 言えないことは 優しさのせいでもさみしい
>
> (「サユミミライ」作詞:大森靖子、作曲:K2-Dee)〉

「泣いちゃうかも」の破壊力

 の、の在籍期間は11年10カ月。デビュー曲の19th「シャボン玉」から57th「TIKI BUN/シャバダバ
ドゥ~/見返り美人」まで、実に39枚ものシングルに参加している。

 歌もダンスも苦手で、メンバーになってからも「私ってに必要なのかな?」と悩み続けたというが、初期から、つんく♂が彼女に寄せる、飛び道具としての期待はかなり大きかったようにも思えるのだ。

 私はは特に推しではなかったが、それでも2010年前後のモー娘。の歌で真っ先に思い出すのは、38th「泣いちゃうかも」で彼女が歌った「また一人ぼっちマリコ」。36th「リゾナンドブルー」が名曲中の名曲と言い切れるのも、道重の「ヘルプミー!」という叫びがあってこそである。

 甘いしゃくり上げた声は、加工に乗り、夢と現実の境目のような世界観を丸ごと作るパワーを持っている。つんく♂も「彼女の唄はリズムが良い、歯切れもすごく良い」(つんく♂オフィシャルウェブサイト)と評価。「ラララのピピピ」「シャバダバダ
ドゥ~」や「ファンタジーが始まる」など、彼女の声無しでは成り立たない。

 2年半の活動休止を経て2017年からソロ活動が始まったが、「Sayutopia」MV(2021年)が偶然流れてきたとき、何気なく再生して、こんなに上手い人だったかと驚いたものである。音痴どころか、楽曲の中に込められた愛情や、ひたひたにひたされたコンプレックスまで、歌声から感じるくらいになっていた。

つんく♂は「この子自体が作品やな」

 令和は「鑑よ鏡」の時代。情報量や言葉の刃に埋もれないよう、自分自身を認め、褒めるおまじないを誰もが求めている。「かわいいだけじゃだめですか?」(CUTIE
STREET)「今日ビジュイイじゃん」(M!LK)。この先駆けが、だったと思うのである。ずっと貫き通した「私はかわいい」は自己主張と同時に、観ている人たちに向けての、肯定のおまじないだった。

 理想と現実を突きつけられ、アイデンティティを喪失し、自分の言葉で話し、書き、ときにサービス精神がいき過ぎて炎上する。もがいてもがいて、自分流の表現方法を確立していくプロセスは、観ていて清々しかった。

 2002年のオーディションの最終審査、揺れ揺れの音程で「赤いフリージア」を歌う道重を見て、つんく♂が笑いながら言った言葉がある。

「この子自体が作品やな」

「つんく♂の先見の明はすごい」と前述したが、道重自身が、時間をかけ、トライアンドエラーを繰り返し、この言葉を「予言的中」にしていったともいえる。

の名言「10代はかわいい。20代は超かわいい。30代は…」

「10代はかわいい。20代は超かわいい。30代は超超かわいい。劣化という言葉は私にはないんです。常にピークです。だから、今までで今日が一番かわいいんですよ」

「キャラって、出そうと狙っている時ほど生まれなくて、ふと見つかるものなんですね」

 名言も数多ある。引退に向けての多忙な時期、怒涛のように更新を続けるブログを見ても、ああ、この人は幸せな言葉を発信していく達人だ、と思う。ブログタイトル「サユミンランドール」も「サユミンランド」で止まっていたら、彼女のソロの世界観はもっとこじんまりしたものに変わっていただろう。

 引退の一番の要因として強迫性障害を発表しているので、ゆっくりしてほしい。

 いつか、また、彼女の言葉を読みたい、聞きたいと思ってしまうが、とにかく深呼吸。楽しかった、綺麗だった、!

(田中 稲)

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