4月に産休・育休から職場復帰したTBSアナウンサーの高畑百合子さん。パラアスリートの夫・堀江航さんとは、出会ってから19日のスピード婚だったそう。夫とのなれそめについて赤裸々に語ってくれました。(全3回中の1回)
駒場高校の有名人だった夫と卒業以来の再会
『みのもんたの朝ズバッ!』のスタジオで(2013年撮影)
── パラリンピックアスリートとして活躍されている夫・堀江航さんとのなれそめを教えてください。スポーツの取材をされていたころに知り合われたのでしょうか?
高畑さん:パラリンピックスポーツに関しては、『みのもんたの朝ズバッ!』というテレビ番組のなかで23歳から9年間担当させてもらっていました。MCであるみのもんたさんを中心に、番組立ち上げのころから「これからはパラリンピックに時間を割いて応援していこう」と。そんな方針だったので、私は選手について比較的詳しいつもりでいたのですが、堀江選手のことは知らなかったんです。
── では、堀江さんとはどこで出会ったのでしょうか?
高畑さん:出身高校が同じ都立駒場高校で、堀江は1学年上でした。さらに彼の父は駒場高校で体育の教員をしていて私も教わっていましたし、彼の母も同じ高校出身という
「駒場出身ファミリー」。駒場高校は同級生同士でするカップルが珍しくなく、男女の垣根なしに仲よくできる校風が魅力のひとつ。私も卒業後、同級生とよく会っていたのですが、あるとき仕事の悩みを同級生に話したところ、夫を紹介されたんです。
── 仕事の悩みというのはどんなことでしょう?
高畑さん:当時はスポーツから報道へと担当番組が代わり、環境が大きく変化したため、アナウンサーとしての自分の立ち位置に悩んでいたころでした。同級生に「報道の立場でも、特定のスポーツ選手を追いかけて取材するような企画をやりたい」という話をするなかで、たまたま「高校の先輩の堀江さんって今どうしてるんだろう?」という話題が出たんです。というのも、堀江は現役時代に全国高校サッカー選手権に出場しており、校内のスター軍団のひとりでしたし、お父さまが教師だったので「堀江先生の息子」という意味でも目立つ存在でした。「あの有名人の先輩は今」みたいな感覚から話題にあがったんです。
大学生のころ「堀江が事故で足を切断したようだ」というのは聞いていたのですが、私自身は彼と直接、話したことはありませんでした。同級生はサッカー部の後輩だったので堀江のその後にも詳しくて、「え、知らないの?堀江さんアイスホッケーで平昌パラリンピックに出たんだよ。今はカヌーで東京パラリンピック目指しているよ!」と教えられたんです。恥ずかしながらそのことを知らなかった私は、一度お会いして取材したいからと同級生にセッティングをお願いして、テレビ番組のディレクターと一緒に会うことになりました。
出会って17日目「じゃあ明日しよう」
当初の初々しいころ
── 最初は取材相手として会ったのですね。
高畑さん:そうです。でも取材日当日、同行するはずだったディレクターが急用で来られなくなり、堀江もマネージャーなどはおらず、結局、堀江と私と、この場をセッティングしてくれた同級生と3人で集まることになりました。その場では仕事の話というより、共通の話題で盛り上がる同窓会のような、ひたすら楽しい食事会で終わりました。堀江という高校時代の記憶が鮮明な先輩と会って刺激を受け、自分の細胞がブワッと活性化されて元気をもらい、熱を帯びるような感覚になったのを覚えています。
── インパクトのある再会だったのですね。
高畑さん:はい。その場でカヌーの取材をさせてもらうことを約束して連絡先を交換し、お礼メールを送りました。そしたら翌日、仕事を終えて帰宅したころに返信がきて「今日、夕飯どうする?」と(笑)。私はすでにメイクを落として部屋着状態だったのですが、先輩が誘ってくれるなら行こうかな、という軽いノリでそのままラフな格好で出かけました。その19日後にしたんです。
── 19日後!? ものすごいスピード婚ですね。
高畑さん:一緒に晩ごはんを食べに行ったその翌日もまた「今日の夕飯どうする?」と連絡が来て、会社まで車で迎えに来てくれました。そこから毎日、私の仕事が終わるころに会社に迎えに来てくれて一緒にごはんを食べ、なんとなくおつき合いすることになりました。19日間は短いと感じるかもしれませんが、毎日たくさんの話をしたので、私としてはものすごく濃厚な時間を過ごした感覚なんです。
── つき合い始めから、が前提だったのですか?
高畑さん:いえ、しようと決めたのは、出会って17日目でした。私は当時38歳でしたし、遊びでおつき合いする年齢ではないと思っていたので、関係性をはっきりさせたいという気持ちはありました。また堀江は、子どもがすごく好きで将来的には子どもがほしいと思っているな、というのは会話のなかでわかっていました。
ただ、堀江が取材対象の選手だというところが私のなかで引っかかっていました。彼は本気でカヌーの選手として東京パラリンピックを目指していましたし、私はパラリンピックにキャスターとして関わる可能性が高かった。周囲のスタッフにおつき合いしていることを隠して取材するのか、でも公言しても気をつかわせるし…という部分がモヤモヤしていて。その話をすると、彼が「だったら、東京パラリンピックが終わるまで待って、しようか」と言ってくれました。
── 自然な流れでプロポーズされたのですね。
高畑さん:うれしかったのですが、東京パラリンピックが終わってからだと私は40歳。2人とも子どもがほしいと思っているのであれば年齢的なリミットもありますし、恋愛やプライベートはあと回しでがむしゃらに働く時期は過ぎたと感じていたので、そのことを正直に伝えました。彼の答えは「じゃあ明日しよう!」と。
── 明日ですか?それはまた急展開ですね。
高畑さん:もちろん「え?明日?まだ親にも会ってないのに?」って言いましたよ、私(笑)。でも本当に婚姻届をもらってきてくれたので、次の日に証人サインをもらい、その翌日の夜に提出しました。2019年1月のことです。
義母にはまさかのサプライズ報告
直後、夫がカヌーの練習でオーストラリアに1か月滞在した際、現地滞在24時間の強行プランで会いに行った
── 決断が早い!両家の親御さんにはいつ報告したのですか?
高畑さん:私の母には婚姻届けの証人になってほしいと伝えました。急で驚いてはいましたが、サインをしてくれました。お義母さまには、事後承諾でした。というのも、彼のお母さまはそのとき、シニア海外協力隊の一員としてブラジルに行っていたのです。しかも彼の家はそれぞれが自立しているからといって「後で知らせれば大丈夫だよ。そういう家だし、サプライズにしたい」と彼が言うんです。
「そうは言っても、電話くらいしたほうがいいんじゃない?」と何度も聞いたのですが、かたくなにサプライズ報告にしようとしていて。結局、義母がのことを知ったのは、私たちのがニュースになったのを親戚が聞き、義母に知らせたという遠回りなルートからでした。義母は、息子がしたことも、相手がアナウンサーだということも、そこで初めて知ったと聞きました。
── なるほど。いろいろなご家庭があるのですね。
高畑さん:でもとても喜んでくださったようで、SNSに思いを綴ってくださったと夫が知らせてくれました。そこには息子がしたこと、どのように息子を育てたかということ、大学生のころ左足を切断するほどの事故にあったことなどが書かれていて、「きっと相手を大切にすると思う」というメッセージがありました。「直接、言わなくてもわかり合えているごなんだ、私も受け入れられたんだ」と感じましたね。担当番組の本番前にそれを読んだので、涙を止めるのが大変でした。直接お会いできたのはから半年後、義母が一時帰国したときのことです。
── お義母さんとしては、息子さんが足を失うという経験をしているため、いろいろな思いがあったのでしょうね。
高畑さん:そうかもしれません。ただ、私のなかでは、彼の足がないことは何の垣根にもならなかったんです。もちろん高校生時代のスポーツ万能ではつらつと活躍している彼を知っているから、足を失うということがどれほどつらかっただろうとは思うのですが、彼自身がそのことをまったく気にしていないように見えるんです。真の強さを持ったかっこいい人だな、と感じて、そこにほれました。また私は長年、仕事でパラリンピックに携わってきたので、障がいがある方と触れ合う機会が一般の方よりは多かったことも垣根のなさにつながったかもしれません。
── 堀江選手はそのころ、東京パラリンピックを目指してトレーニング中だったということですよね。
高畑さん:はい。もともと企画していた密着取材も進めていました。でもすぐにコロナ禍に突入してしまって東京パラリンピックの延期が決定。結果的にカヌー選手としての堀江の出場は叶わず、私のキャスターとしての仕事もなくなってしまいました。
──
堀江選手はカヌーだけでなく、車いすバスケットボールやパラアイスホッケーなど、さまざまなパラリンピックスポーツに挑戦し、現在はブラジリアン柔術の道場を開いていらっしゃいます。活躍の場をみずから切り開いていく姿を間近で見るようになり、ご自身にも影響や変化はありますか?
高畑さん:フットワークが軽いのはいいことだな、と憧れます。私はわりとひとつのことを深く掘り下げたいので、準備に時間をかけてかっちり決めた通りに物事を進めたい性格なのですが、夫は「やってみよう!」と飛び込むスピードがすごく早くて、行動が軽やか。昭和っぽい「闘魂一直線」タイプの私に対して、彼は無理にひとつに絞ることなく「そのときやりたいことをやればいい」という考え方。自分が持っていない魅力を持っている人だと思います。
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お互い子どもがほしいとしてすぐに妊娠しますが、2度の流産を経験した高畑さん。体質的には「不妊」ではないという葛藤を抱えながらも不妊治療を受けることを決意します。その結果、無事にお子さんを授かりました。いまは仕事をしながら、2人の子どもを持つ母としても奮闘中です。
取材・文/富田夏子 写真提供/高畑百合子