《交通事故で骨折と顔の左側の歯が挫滅》重傷負ったタレントの大東めぐみ「レギュラーやCM失い仕事ほぼゼロに」後遺症で15年間運転できず

Thumbnail

 1990年代、『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)や『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)、『日曜ビッグスペシャルタモリ倶楽部』(テレビ東京テレビ朝日系)
)など、多くのバラエティ番組で活躍していたタレントの大東めぐみさん(53)。

 ところが、人気絶頂のさなかにプロ野球選手と結婚し、突如、関西へ。大阪を拠点にしているのかと思えば、現在は東京住まいだという。バラドル時代と変わらないトークと笑顔の大東さんだが、2008年に重傷を負った交通事故を機に、人生が大きく変わったことを明かした──。【前後編の後編・前編を読む】

 * * *
 1998年に3歳年上の当時プロ野球選手だった大久保秀昭選手(大阪近鉄バファローズ)と結婚して大阪へ移住。プロ野球選手の妻と子どもにとっての母と、2つの大役が新しく増え、仕事も続けるという超多忙な生活が始まり、実家の両親の助けを借り乗り切った。大阪を拠点にしたことで、関西での仕事が増え、幸せな日々を過ごしていた大東さん。だが、大きな試練に襲われた。2008年の交通事故だ。大阪で数年間過ごし、夫の仕事の関係で2004年からは東京で生活していた。

「渋谷の公園通りと井の頭通りの宇田川町の交差点(西武渋谷店のA館とB館の間)を青信号で歩いて渡ろうとしたところで、マイクロバス(12人乗り)に轢かれ全治3カ月の重傷を負ってしまったんです。

 左足を4カ所骨折し、左膝前十字靱帯がちぎれて飛び、頭を強打し顔の左側の上下の歯が挫滅。それなのに救急車で搬送されている時に、予定していたNHKの収録に行く気でマネージャーに電話したりして……記憶が飛び飛びでよく覚えていないんですけどね」

 事故の恐怖や痛みが、今も記憶に強く残り、事故のあった交差点には今もほとんど近寄ることができないという。唯一の趣味だった車の運転もできなくなった。

「トップアスリートを診ている膝の先生の診察を受けられるよう、夫が手配してくれました。杖がとれるまで1年、事故前に近い身体の状態に戻るまでには2年かかりました。

 レギュラー番組も、決まっていたCMも無くなり、仕事はほぼゼロになり、加害者側から支払われた損害賠償金では、私が失ったものの10分の1にもなりませんでした」

 事故の経験をせめて生かそうと、大東さんは全国で交通事故の現実を語る講演を行うほか、出身地・愛知の県警の交通安全キャンペーンのイベントに毎年協力し、一日警察署長などを務めている。

「事故を経験して良かったとは言えませんが、実際に事故に遭った経験から語れることは強み。体調を整えるためにヨガを始め、指導者の資格も取ったので希望される方がいればお教えすることもあります。転んでもタダでは起きません(笑)」

 現在の仕事はほかに、通販番組などのテレビ出演や、企業の表彰式の司会、講演、シンポジウムの司会などを行っている。

「あとは“母ちゃん”ですね(笑)。事故をきっかけに、新しい人生が始まったんです」

11年ぶりに出産した第2子

 交通事故によるケガで大半の仕事を失ってしまったが、翌2009年に次男を授かった。長男出産から11年ぶり、37歳で恵まれた第2子だった。

「長男の子育ては祖父母にずいぶん助けてもらいましたが、次男はほとんど私と夫・大久保の手で育てることができました。次男は幼い頃から野球をやっていたので、“母ちゃん”の私は毎日大忙し。食事も洗濯も量が半端じゃありませんからね(笑)。

 食事でいえば、ウチは毎日お米を5合炊き、そのうち3合は次男のお弁当のおにぎりに。鶏の唐揚げを作るときは3、4キロ作り、飲み物は3リットル用意して持たせていました」

 息子の成長とともに大東さんには向き合わなければいけないことがあった。2008年の事故以来、トラウマとなり、15年間できなかった「運転」である。

「自分が重傷を負った分、運転することが怖くなり、ハンドルを握ることができませんでした。しかし、次男が中学に上がったとき、今しかないと思い、試合会場への送り迎えのために15年ぶりに運転を再開しました。家族を乗せて徐々に距離を延ばしていき、2年が経ちました」

 次男はこの春、野球の強豪高校に進学。ピッチャーとして甲子園を目指し野球部の寮に入った。大東さんは父母会の仕事には今も参加している。応援グッズの手配、選手の弁当の手配、練習試合では相手チームへのお土産を用意したり、お手伝いを父母が手分けして行うのだそうだ。

 大東さんの夫・大久保氏は2001年に現役を引退。古巣の社会人野球チーム・新日本石油ENEOS(現・ENEOS)や、母校・慶應義塾大学野球部の監督など指導者として華々しい実績を重ね、現在はENEOSのチームディレクターやJOC理事、侍ジャパンU-12代表監督を兼務している。

「大久保は私が言うのも何ですが、指導者として優秀で、“いつか五輪に関わりたい”という夢も叶えてすごいと思います。家で野球の話はしませんが、指導者として必死で取り組み、頭を悩ませているのが横で見ていてわかるので、選手時代より私も神経を使っているかもしれません。

 大事な試合で負けたときなど、どう声をかけようか、と緊張します。そんなとき、野球をやってこなかった長男が、『ド~ンマイ!』などと大久保に明るく声をかけてくれるので助かっています(笑)」

 妻として、夫とともに闘ってきた大東さんは、今年6月、報われたと感じる出来事があった。大久保氏がある講演で「自分を野球選手に育ててくれたのは野球部の監督たちだけれど、指導者として自分をここまで育ててくれたのは妻」と語ったのだ。19年間のフォローを、夫が認めてくれた瞬間だった。

「大久保には野球に集中してもらいたい一心でやってきましたが、こんなふうに思ってくれていたとは驚き、嬉しかったです」

 次男と夫の“母ちゃん”としての仕事はまだまだ続くが、こまめに身体を動かす働き者の大東さんの息抜きは晩酌だ。18時までにボリューム満点の夕飯を整えたら、ダイニングテーブルに腰を下ろし、Netflixやアマゾンプライムで韓流ドラマを見ながらワインなどを楽しんでいる。

「ここからは“私の時間”。食後、片付けを終えた後も、また韓流ドラマの続きを見ながら飲んでいます。で、睡眠は大事なので、夜10時には寝ちゃいます」

 26歳になった長男はすでに独立。就職し、名古屋で働いている。次男がゆくゆく独立し、夫の仕事も落ち着く時がきたら、大東さんは夫と2人でハワイなど海外と日本の二拠点生活を送ることを夢見ているという。

(了。前編を読む)

取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/山口比佐夫

Related Posts